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皆さんに大変ご心配をおかけしました。
多くの方から応援メールや励ましのメッセージを頂きました。ありがとうございます。
幸い家族、友人、知人、大きな怪我をした人はいませんでした。地震からもうすぐ2週間経つので少々あの日の事を振り返ってみたいと思います。
11日から本当にサバイバルでした。こんなことがあるもんですね。
まずは9日に子供が産まれたのですが、11日に病院に行く途中の高速道路で地震に遭いました。最初は強風と思ったのですが道路が波打ってて地震とわかり停車。様子を見たけど3分ぐらい揺れがおさまらないから徐行で病院へ。
病院の玄関はガラスが割れて中はめちゃくちゃ。幸い子供と妻は大丈夫でした。
その後も余震は続いて、ロビーに避難。それでも揺れて、そのあとにラジオで10mの津波が仙台港にきているということで4階に避難。会議室で余震がおさまるのをまってたけどおさまる気配はなし。津波は窓の先の田んぼまで来ていました。
夜になり暗くなって皆不安になったから自家発電で明るくなった一階ロビーへ移動。布団が敷かれてなんとか寝ることができたけど夜中に津波警報で起こされまた4階へ。地震から携帯は不通だし、情報はラジオだけ。
不安なまま朝になりました。途中自家発電機も壊れて真っ暗。寒くなって来たので赤ちゃんを抱いて暖めて寝る。
翌日病院が不能になったので大きな病院へ転院する事に。うちの子は少し呼吸が早いから様子を見ないとダメということで転院だったけど、同じ日に産まれた子は強制退院。病院の間は普段は30分ぐらいの所を停電渋滞3時間。
その後に家に戻ってみたら津波が来ていないのに家が床下浸水。キッチンのシンクがずれて水道管が破裂です。床下がプールになりました。
電気も水も止まってたのでトイレの水に使えたからそれはラッキーなのか・・・。
家に水と食べ物の備蓄が少しあったから何とかできたけど家に戻るまではひたすらお菓子を食べる生活。電気は4日目ぐらいに復活したけど水はいまだに来ていません。お風呂に入ったのは地震後5日目。
ちなみにある日のディナーはカップ麺とチーズご飯に醤油ぶっかけでした。。。
最も深刻なのはガソリンがない事です。たまたま妻の両親がプリウスで来ている時だったので移動はもっぱらプリウスです。それでも妻の実家がある埼玉に帰れるかどうかです。家にあるバイクのタンクからはもちろん、僕のと妻の車からもガソリンを抜きました。
でも、ガソリンがなくたって生きています。水が出なくたって家はあるし食べる物もなにかしらある。海沿いで被災した人に比べれば雲泥の差です。
今日まで産まれた子供を守ってきました。それしかしてません。他には何も出来ませんでした。
そしてやっと病院の検査が終わり、移動出来るメドが。自分に何が出来るか考えた結果、やっぱりバイクに乗る事しかありません。
僕はプロフェッショナルライダー。バイクに乗ってレースに出て勝ってお金がもらえるんです。こんなときにバイク??なんて思う人もいるでしょう。でも乗ります。何を言われても乗らないとダメだと思います。会社員の人は会社に行く。学生は学校に,バイク乗りはバイクに乗る。普通の事を普通にする事が今は前に進む事だと思います。
ということでこんな状況ですが今年も全力でチャンピオンを狙います。










メリーメリー。

